大人も読める絵本

日々の暮らしの中でなぜか自分のアンテナにひっかかった絵本や本を紹介していきます。

『なつのいちにち』 

『なつのいちにち』

 

            はたこうしろう・著

 

 

 

なつのいちにち

なつのいちにち

 

 

 

 

まだまだ梅雨にも入っていませんが新緑が気持ちよい今日このごろ。

 

さて、かなり先走っていますが『なつのいちにち』というおはなし。

 

男の子が主人公で、1人でクワガタを捕まえにいくというシンプルなストーリー。

子供のころは1人で出かけるだけでも冒険なのに、さらにクワガタを捕まえにいく。

登場するのはたった1人の男の子だけ。

おはなしは淡々とすすんでいきます。

文章もほんとに短くて、絵の余白や角度や、景色の描写が絶妙で絵本というより映像を見ているような感覚でした!

 

男の子は夏のある日、クワガタをつかまえに1人ででかけます。

牛小屋の前はくさいから、全速力ではしる。

神社の階段が長くて長くてハアハアしたこと。

川をこわいけど思い切って飛び越えてみる。

やっと見つけたクワガタは木のとっても高いところに。

何度も何度も挑戦してあきらめかけたときようやく自分と一緒に落ちてきてクワガタをゲット!

帰り道は、どしゃ降り。

ずぶ濡れになっちゃっても捕まえたから全てオッケー。

「きょうはぜったいつかまえる。

 ぼくがひとりでつかまえる。

まってろよ!でっかいクワガタムシ。」

お話しはこんな感じです。

 

小さい頃の夏の思い出ってどんなでしょうか。

 

例えば、遊園地にいったり、久しぶりに遠くに住むいとこと遊んだり、、、

そんな特別なことだけではなくて、何気ないワンシーンが強烈な思い出だったり記憶に残っていたりしませんか?

 

1人で初めてでかけたとき。大人になって気づくととても近い場所だけど、子供の時は大冒険でした。

大人になってから昔遊んだ場所にいくと塀の高さがびっくりするほど低かったり。

初めて自転車にのれたこと。

うれしすぎて手が痛くなるまで乗っていた記憶があります。

アサガオの鮮やかな色。夏って感じのヒマワリ、種のところが気持ち悪かったこと。夏の空の色がなんか乾いた感じがすること。陽がまぶしすぎるのに目で見ようとしたこと、せみの脱皮の瞬間を観察したこと、夜に聞こえる虫の声。

家のくらい廊下、雨の日の外のにおい、夏の草のにおい、スイカのシャリシャリした食感、麦わら帽子のにおい、扇風機の涼しさ、汗でビショビショになった服が乾く時、風を感じるほど早く走れるようになったこと。この絵本を読むとそういった記憶がジワジワよみがえってきます。

 

小さい頃は見るもの聞くものにおうもの、全てが新しいから全身の細胞で吸収していたのでしょう。

 

絵本を読むと思い出すということは忘れてしまったことも全部自分の中にはいっているのですね。

子供だった自分の感受性はもうないけれど、その頃の自分が感じていたことをふと思い出すとなぜかあたたかな気持ちになれる。

それもまた大人になったから味わえる醍醐味。

子供だからあじわえた気持ち。

大人になったからあじわえる気持ち。

全部たいせつなこと。

 

 

『かみさまはいる いない?』

『かみさまはいる いない?』

 

     谷川 俊太郎・文 清川あさみ・絵

 

     

 

 

 

 

かみさまはいる いない? (谷川俊太郎さんのあかちゃんから絵本)

かみさまはいる いない? (谷川俊太郎さんのあかちゃんから絵本)

 

 

 清川あさみさん。

 この絵本が気になったのはこの名前を見たから。

 私は 清川あさみさんの刺繍をみたことがあったのでとっても気になって中をペラペラめくりました。暗闇の中にキラキラした刺繍があってとってもきれいでした。

 調べてみたら、他にも絵本を出版されている様子。

 

 直近では

 

 

狼王ロボ (シートン動物記)

狼王ロボ (シートン動物記)

 

  

これです。 なんかとっても渋い表紙で

清川さんのイメージとちょっと遠そうです(^^)

しかし、見たらきっと美しい絵にうっとりしてしまうのでしょう。

 

 さて、本題の『かみさまはいるいない?』の

お話しです。刺繍が真っ黒い背景から浮かびあがっていて

とってもきれいです。

スパンコールやビーズのキラキラも鮮やかな糸のいろんな色にも目をうばわれてしまいます。

 

 ・かみさまはみえない

  かわりににんげんがかみさまをえがく

 

 

 神様の存在ってそもそも自分は信じていたっけ?

 小さいころは考えていたような。

 困ったときだけすがっている透明の存在だったような。

 この文章を読んでいると神様は本当はいるのかいないのか

 子供の時とはまた別の感覚でわからなくなる感じがします。

その感覚とは、この絵本を読むと人間の身勝手さとかわがままさとか傲慢さが感じられるところから来ています。

 わたしたちがいいように神様を扱っている

だけで、神様って本当はもっとそういうところに存在するもの

じゃなかったはずなのに。

 小さい頃は扱うとかそういうコトバのところにはいなかったはず。

 なにか傲慢になってしまった人間に結局人間たちはいきづまってしまったようです。

 

 

 最後の一文

 ・かみさみにせかいをまかされてにんげんたちはこまっている。

 

 

 

 

 

 

 

『とんでもない』

『とんでもない』

       鈴木 のりたけ

     

 

 

 

 

とんでもない

とんでもない

 

 

 

 


.

 

  クスクスしちゃう絵本。

 

 

  とんでもない。という鈴木のりたけさんの絵本。

 

 絵本の表紙がリアルかついい意味で情けなさただよう絵で

 心をつかまれました(^^。

 鈴木のりたけさんの絵本っていつも絵がとってもリアルで隅々まで

 観察してしまいます。

 今回の『とんでもない』ではとくに、うさぎの絵が荘厳な

雰囲気すぎて肖像画のようでした。ぜひ確認していただきたいです!

 もちろん他の鈴木のりたけさんの絵本も絵をみていただきたいです!

 

 内容はこんな感じ。

 

 

 ・ぼくはどこにでもいるふつうのこ

 ぼくにしかできないこと ぼくにしかないすごいところ

 そんなのひとつも みつからない

 さいはいいなあ よろいのような りっぱなかわが かっこいい

 あーあうらやましい

  一方のサイはというと、、、、、

 ・よろいのような りっぱな かわが うらやましいって?

  とんでもない おもいんだよ

 これであるきまわるためには ちからがひつようだから

 たくさんたべなきゃならない よろいのために たべているようなものだ

 ぼくのためによろいがあるのか よろいのためにぼくがいるのか

 よくわからなくなるよ

 うさぎみたいに ぴょんぴょんはねまわってみたいよ

 

 一方のうさぎはというと、、、、

 

 

 とこんな感じでお話しは続いてゆきます。

 

 ・ぼくは さいみたいなよろいはない

  ぼくは うさぎみたいにぴょんぴょんはねられない

  ぼくは くじらみたいに おおきくない

  ぼくは きりんみたいにくびがながくない

  ぼくは とりみたいにそらをとべない

  ぼくは らいおんみたいにつよくない

  ほんをよむのがすきな どこにでもいる ふつうのこ

  それが いいなって?

  とんでもない

  にんげんのこどもだっていろいろたいへんなの

 

  普段生きているとあたりまえのことすぎて忘れてしまいますがひとの

 ことがうらやましく思ってしまう瞬間、自分にはなくて周りの人たち

 はなんでももっているように、なんでもできちゃうように見えてしまう

時ってありますよね。

 そして、自分のダメなところばっかり目についてしまって自分は何にも

 できないように考えすぎてしまうこと。 私はよくあります(笑)。

 でも、それはすべて私の方から見えるだけの世界であって、周りの

誰かからは違った世界で見えているわけです。

 この世の中ってそんな感じ。

 自分のたくさんいいところがある中で、たったひとつのだめなところを

ピックアップしてきて相手の悪いところもそりゃあるだろう中の

これまたピックアップしてきたいいところと比べてしまう、、、

これってとってもアンバランスなことだと思いませんか!?

 世界を見るときはフラットな目線も、客観的な目線も必要ですよね。

 

 

 ともあれ、この絵本は、そんなに深いお話ししている

雰囲気を一切感じさせずにそんな人生の核心もついている

ようにも見えちゃうような、、、、

 いろいろな動物たちがお互いのことを

うらやましく思ています。

 しかし、うらやましがられている動物たちから見たら

そんなうらやましがられるポイントは自分がけむたいところだったり

するのです。やっぱり世界は見ている側からしか見えないようにできているのですね。

 

 普段、ちっちゃいところを人と比べてしまったりすると

それだけで気持ちがささくれだってしまうこともありますよね(^^)

 そんなときにこの絵本を読んだら、なんかまあみんな

それぞれの立場で自分なりに精一杯生きてるしー!(^^)!って

 力を抜くことができそうです。

 

 ほのぼのとリラックスできる一冊!!

 

 

 

『おとうさんぼくね・・・』

『おとうさんぼくね』

      さく・え 長谷川義史 

      

 

 

 

おとうさん ぼくね…

おとうさん ぼくね…

 

 

 


.

 

  やさしい気持ちになれる本。

 

 

 長谷川義史さんの絵本ですが、クレヨンでザラザラとシンプルな絵(背景少なめ)で

描かれています。が、一つ一つの文章が詩っぽい感じで子供の素直な気持ちが言葉にこ

められていて心につきささりました。

 

 内容はお父さんがお仕事で遠くにいってしまうため、男の子がお父さんの帰りをお母

さんときょうだいたちとまちわびている日々を描いたもの。

 

 ・ひこうきにのってとおくとおくぼくはなんかいねるのかな。

 ・おとうさんちきゅうのうらがわいくんでしょ。おちないでかえってきてね。おとうさん。

 ・ふねがゆれるのおとうさん、ぼくのこころもゆれてるよ。

 ・おやすみなさい おとうさん、おとうさんはねているの おきてるの。

 ・ぼくたちもおおきなこえでいいたいよ。

  おとうさんおかえりなさいって いいたいよ。

 

 

  先日、姪っ子の面倒をみているときになんとなく気づいたのですが、パパママと一

緒にいるときとパパママがいないときと様子がちがうポイントがありました。

 

 

 それは、ちょっとしたときにでるため息のようなもの。

 たとえば、ちょっと注意されたとき、ちょっと雨戸をあけてなくて暗闇の部屋へいか

なくてはならなかったとき。

 子供って楽しいこともストレスのかかることも全身全力で感じているのかもしれません。

 言わずもがな、パパママと一緒にいるときは安心感がちがうのかため息があまりでて

いないような、、、、。

 気のせいもあるかもしれませんが。

 

 この絵本を読んで、子供って本当にお父さんとお母さんが大好きでたまらなくて、頭

の中はいつも意識してるときもしてないときもお父さんとお母さんに感じる安心感とか

つながっている感じで満たされているんだろうなと感じました。

 

 とにかく大好きでたまらないもので頭の中があふれているって大人になったわたした

ちからしたらなんだかとってもうらやましい状況。

 

 だから子供ってあんなにパワフルで目の前のことだけに一生懸命でキラキラしている

のでしょうか。

 

 はたまた、違う目線からみたら、子育て中のパパママはそれだけ子供に影響をあたえ

ることが力になったり、その逆もあったりするのかもしれません(^^。

 

 ただ大人だって、毎日毎瞬間いろんな気持ちを感じながら生きているので、気分のよ

くない時もあるし、チビッコは元気いっぱいなので、大変な時も多々あることが予想さ

れます。

 

 

 私は短時間しか面倒をみていない姪っ子ちゃんが元気すぎて疲れてしまったりもしま

す。かわいくてかわいくてしかたないときもあります。

 

 

 でもそんないろんな自分もまるごと受け止めて、パパママたちだけでなく大人たちは

子供に接していたら、子供たちもこの絵本のようにまっすぐのびのびと愛情に満ちたチ

ビッコに育つのかなとふと思いました。

 そんなことを思った絵本でした!

 

 

 

 

 

 

 

 

『そりゃあもういいひだったよ』

『そりゃあもういいひだったよ』  

 荒井良二

 

 

 

そりゃあもう いいひだったよ: ぴっかぴかえほん
 

 

 

  うれしい、たのしい気持ちになる本。

 

 

  あるひ、ぬいぐるみのくまのところに本物のくまから手紙がとどきます。

 月がまるくなったら遊びに来てくださいというお手紙。

  ぬいぐるみのくまは月がまるくなった日にでかけます。

  その過程でうれしいことがたくさんおこるのです。

 

 例えば、、、、

 

山のうえにあるおみせのおじさんがドーナツをおまけしてくれた

 おいしかったあ!

 そしてちいさなライトをかしてくれたんだ 

 山みちはくらいからって

・バスにのって うんてんしゅさんに くまにあいにいくんだよっていったら

 のせてくれたんだ

 そりゃあもういいひだったよ

・ロープーウェイのかかりの人も とってもやさしかったよ

 そりゃあもう そりゃあもう!

 

とこんなふうに。

 

 そしてとうとうぬいぐるみのくまはほんものくまたちに会うことができるのです。

 手紙をくれたくまに出会えたときのぬいぐるみのくまはとってもうれしそう!

 そして、ごちそうをいただき、木のみのことや川でさかなをとることをたくさんおし

えてもらいます。

 その後目がさめるとほんもののくまたちはいなくなっているのですが、、、

 ぬいぐるみのくまは大満足!!!

 とにかくぬいぐるみのくまは感激することがいっぱいでいっぱいで、

ひとつひとつに感激してほんとにぬいぐるみのくまのうれしそうな気持ちがこちらに伝

わってくるのです。

 絵本からなので大げさにきこえるかもしれないけれど、自分が生活していく中で

起こる出来事は気をつけなければ何も感じずに過ぎて行ってしまう小さいことのが多く

てそういうことで日常が成り立っている気がします。

 もちろん大きな嬉しいことや悲しいこともおこったりするけれど。

 

 だから、この中に登場するぬいぐるみのくまのように、わざとそうするわけではない

けれど、自分を大切にして生きていれば、一つ一つの出来事を丁寧に生きていけて、い

ろんな喜びや楽しみももっとたくさん感じれるんじゃないかなーと思いました。

 

 とはいえくまさんが『そりゃあもういいひだったよ』と連発するように、自分がハッ

ピーで楽しい気分になれることを日々探して見つけて求めていけばそれでいいんじゃな

いかなと思います!!!

 

『みんがらばー!はしれはまかぜ』 

みんがらばー!はしれはまかぜ 

                        文・村中李衣 絵・しろぺこり

 

 

 

 

みんがらばー!  はしれはまかぜ

みんがらばー! はしれはまかぜ

 

 

 使命を感じる本。

 

 

  突然ですが、『みんがらばー』ってなに?っておもいませんでしたか? 私は思いました。ビルマ語で『こんにちは』って意味だそうです。

 さてさて、表紙は電車の絵だし、なぜこの本を見てみようと思ったのでしょうか。

 なんとなくで読んでみたのです。実は。そうしたら、、、

 私の想像していた、いわゆる男の子向け電車絵本とは全く違ったものでした。

 

 

 主人公は[特急はまかぜ]。絵本の中で登場するときに、

『わたし』と自分をいっているので女の子の電車のようです。

 

 毎日元気に走っているのですが、ある日、お友達の特急列車やくもさんが整備のはらださんがしゃべっているのをきいてしまいました。

 そのはなしとは、特急はまかぜがでっかいハサミでギッチョンチョンにぺしゃんこにされてしまうということ。はて(・・?

 

 あたし、走れなくなるの?

 おなかがしんしんひえた

 こんなにおなかがつめたいのは、うまれてはじめて

 原田さん、たすけて   

  ねむれないまますぎた日々をすごす特急はまかぜ

 そんな日々のあと原田さんからうれしいおしらせが。

 

 はまかぜ、たすかったぞ。ミャンマーから電話があったんだ。

 ターボエンジンで走る強くて力もちのおまえがほしいって。

 下関のみなとから海をわたってミャンマーへいくんだ。

 

  どこでもいい あたしはしれるのね 

  おなかのあたりが ぽっとあったかくなった。

 

  と、こんな感じで物語はすすんでいきます。

 そしてページがすすんでいくにつれ原田さんや特急列車やくもさんとの悲しいお別れ。

 そんな運命の中で一生懸命にいきる"わたし” 

 たくさんの不安の中で”わたし”は誠実に、とっても力強くたくましく生きていくのです。

 その強さが、虚勢をはった感じの強さではなくて、素直に自分の不安な気持ちを受け止めながら、自分で自分を励まし、結果自信をつけた強さという形につながっているように私は感じました。

 ”わたし”の様子がなぜかとっても爽やかで凛々しくも感じたのです。

 

 あたしをのせたトラックは 小雨のふるなか、しずかにうごきだした

 下関のおうちではたらく人たちが、ならんで、あたしを見送ってくれた 目をつぶった

 まちの音、風の音、ひとの声、、、、みんなうずになって、

 あたしのうしろへ きえていく

 海のにおいが、つよくなった

 

 特急はまかぜの気持ちとまわりの描写の文章のバランスも絶妙で、説明すればするほど、読んだ時の気持ちとずれてしまうきがしますのでこのへんで。

 

ミャンマーにいったはまかぜの心配はもう無用のようです(^^)

 読んでいて、とっても勇気をもらえる一冊です。

 

『さばくのくいしんぼ』

さばくのくいしんぼ  

                         作・絵 佐々木マキ

 

 

 

 

 

さばくのくいしんぼ

さばくのくいしんぼ

 

 

 

 

 

 

   

 

 

☆あらすじと感想☆彡

   

  

 あるひのことさばくの虫を研究している博士がさばくでくいしんぼうのあくまにであいます。

 

  はかせはたべられてしまいました。

  そこにたびの途中の少年がやってきました。

  少年はあくまに食べられそうになった瞬間に、あくまのお腹のチャックをひらきます。

 

 すると、博士がお腹から出てきて。

 はかせと少年は、チャックを裏返して閉じてあくまをボールにしてしまいました。

 そこに、さばくのとうぞくがやってきて、博士と少年を脅すのです。

 

 『おまえたち、おとなしくかねをだすんだ』

 『たからものならこのなかにあるよ』

 少年はあくまの入ったボールを指さしたのです。

 

  さて、このあとあくまがとうぞくを食べるところまではなんとなく予想がつきますよね(^◇^)。

 

 しかし、そのあともおはなしは続くのです。

 

 佐々木マキさんのお話は、どこか奇想天外な感じがして、おはなしがうまくつながっていてなんとも魅せられるおはなしばかりな気がします。

  

 なんかちゃんとおはなしがよみたいな~

 しかもどうなるどうなる!?って感じの!!

 そんなときに佐々木マキさんの絵本を探してみては。